建設関連現場に代表される人手不足
深刻な状況といってもよいでしょう。
これを表すように今月14日の産経新聞の1面トップ記事には、「移民 年20万受け入れ検討」との衝撃的なヘッドラインが。
ところが、自民党内の強い反対論があったかどうかは分かりませんが、その日のうちに、官房長官がなんとかトーンダウンさせたのが印象的でした。

移民大量受け入れ議論の背景には、日本の人口が減少する、とりわけ少子高齢化の急速な進展により労働力人口が激減することから、労働力を穴埋めする必要に迫られているという現実があります。
国立社会保障・人口問題研究所が公表した2014年・最新の労働力人口の将来推計によると、2010年に約6,600万人だった労働力人口は、10年後の2020年には約6,300万人、20年後の2030年には約5,900万人と、正に激減の一途を辿ることになるとしています。

であれば、即移民受け入れか。
2020年東京オリンピックが開催されることに伴い、不足する労働力を補うためにも、即移民受け入れに舵を切るべきか。

確かに、外国人労働者の受け入れ拡大は避けられないでしょう。
しかし、国の政策として、彼らを「移民」として受け入れるか、となれば、慎重な議論が必要かもしれません。

ヨーロッパ諸国に目を向けると、大胆な移民政策をとればとるほど、文化摩擦や治安悪化への懸念は強くなりがちです。そしてなによりも、雇用への影響が深刻な問題を招くおそれがあります。つまり、以下のようなことが起きるのです。

労働力が不足するほど景気がよいうちはよいのですが、いったん景気が悪くなれば、「帰ってくれよ」という話になってしまう。
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でも、本国の仕事が無くて移民として外国に来た人たちは、本国に帰っても仕事が無いのだから、本国には帰れない〔帰りたがらない〕。
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彼らは国内に滞留する。
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受け入れた国民との間で、仕事の奪い合いになる。
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加えて、社会保障の負担が増加する。
        ↓
そこから相互不信や対立が生まれる。

悲しいかな、ヨーロッパ諸国では、このようなことが繰り返されてきました。
最近でも、2月には、スイスで、移民規制の是非を問う国民投票まで行われ、規制すべきとの声が上回りました。

日本の場合を想像してみましょう。
オリンピックに向け景気が上向きのときに受け入れ、悪くなったら、貢献してくれた人に向かって帰ってくれよでは、あまりにも自分勝手であり失礼な話ですし、他方、オリンピック後に訪れるであろう不景気時に、経済の足かせとなるのも困る。でも、人手不足を解消してくれるなんらかの労働力が欲しい。このように考える人が多数派ではないでしょうか。本当に難しい問題ですね。

よく考えてみれば、2020年東京オリンピックのコンセプトは、既存の施設も活かしながら、コンパクトに環境にも配慮した開催を目指す、というものだったかと思います。また、これまでのような経済成長一辺倒の社会を目指すのではなく、日本は成熟社会を目指すべきだ、との声も聞こえてきます。であれば、大量の移民を受け入れる必要はないのでは、という意見もあるでしょう。

このように、数年間の出稼ぎ目的で就労滞在する「外国人労働者」と異なり、永住・日本国籍取得を前提として新たに来日する「移民」を受け入れるとなると、目の前の現場での人手不足を解消するといったミクロの問題としてだけ捉えるのではなく、国の「かたち」の根幹とも繋がるマクロの問題でもあるという視点から、少子高齢社会が進展し中長期的に労働力人口が激減するなかで、どのような途を選ぶべきか、慎重な議論が必要であると考えます。慎重とはいえ、この問題は、もはや目を逸らすことのできない段階に至っています。迅速性も求められています。
慎重と迅速、そして、決断。
日本は今、これらが求められる重要な局面に差しかかっているのではないでしょうか。

日本が、仮に、「移民」受け入れには消極的立場に立つとした場合(すぐには答えの出ない問題ではありますが)、「移民」とは違ったかたちで、できるだけ早く「外国人労働者」の受け入れを拡大するという選択をすることになることは、ほぼ間違いない流れでしょう。

今日の日経新聞にもありますが、(「移民」ではなく、)「外国人労働者を拡大」「東京五輪まで期間限定」という意味・意図、上述の内容との絡みで、お分かりいただけたかと思います。